第2代支部長:木島幹博 先生

日本心血管インターベンション治療学会東北支部
星総合病院 循環器内科 木島 幹博

第1回日本心血管インターベンション学会東北地方会プログラムから振り返る思い出話

 日本で最初のPTCAは1981年の内田康美先生だったと、日本心臓血管内視鏡学会の学会誌(2015年;心臓内視鏡;1:3-10)に自ら寄稿されております。手技は成功し、その後の経過も極めて順調であったそうですが、地方会に発表するや激しい非難を浴び、以後、中止せざるを得なかったと記載されておりました。そんな中で、日本のPTCAの創設期をリードしたのが延吉正清先生と山口徹先生でありました。1985年には、冠動脈形成術研究会を発足させ、1992年には発展して日本心血管インターベンション学会(JSIC)となり、さらにその後、CVITとなっております(図1参照)。

 日本心血管インターベンション学会東北地方会は、総会に遅れること5年、1997年に発足しました。表1にこの時の役員の名簿がありますが、東北地方会の発足に指導的役割を果たしたのは田巻健治先生(岩手県立中央病院)であったと記憶しております。田巻先生の常に冷静沈着、理路整然たる話ぶりは、皆を説得するのに十分であったように思います。田巻先生は、地方会が発足する3年前から、「岩手PTCAライブ」を主催しており、私を含め多くの東北地方の医師にも声をかけていただき教育的機会を与えていただきました。一流の先生の手技や考え方を聞いた時の衝撃は強烈で、そのことがADATARA Liveや仙台ネットワークライブへと拡がっていったのだと思っております。田巻先生の元からは優れた循環器内科医が巣立っており、後藤新平(岩手県奥州市出身、福島医大の前身である須賀川医学校に学ぶ)の「〜人を遺すは上なり」という言葉に繋がっているように思われます。温厚で親分肌の横山紘一先生、荒木隆夫先生(山形県立中央病院)の存在も大きく、大した波乱もなく東北地方会の船出ができたのもお二人の和の力を大切にするお陰だと思います。山形県立中央病院は、東北でも最も早くPTCAを開始した施設でありましたが、冠動脈だけでなく末梢血管の治療にもいち早く目を向けており、腎動脈のインターベンションについて荒木先生に電話で教えていただいたことを記憶しております。

 第1回の地方会の会長には目黒泰一郎先生(仙台厚生病院)が推挙されました。
 目黒先生は、当時からRadial Approachの有用性を訴え、その普及に大いに貢献されました。第1回の地方会の演題にもRadial approachについての演題が出ております。地方会発足当時の役員名簿を見ますと多くの先生が既にこの業界から離れており、時代の流れを感じさせられます。そんな中で、第1回目から先日の第52回まで、ほとんど毎回、First Speakerとして演題を発表してきたのが佐藤匡也先生です。一般演題の演者として若い先生に混じって発表する姿は尊敬に値します。カテーテル治療に対して常に高い意識を持って見ているからこそできることであり、佐藤匡也先生の発表から学んでいる若い先生はたくさんいると思います。また、当初からコメディカルの教育にも力を注いで来られ支部長としても東北地方会の発展のために大いにご尽力されました。佐藤匡也先生を副支部長として支えたのは片平美明先生です。片平先生も第1回の地方会からファーストスピーカーとして参加され、今日もご活躍中です。共同演者として名前が掲載されております師匠の田中元直先生は、心エコー図、ドプラー心エコー図の世界の第一人者でありましたので、片平先生も医工学に強く、そのことが先生のライフワークともなったカテーテルの最小化研究に繋がったのだと理解しております。2021年には、直前の大地震にもかかわらずCVIT学術集会の会長としての大役を務めたこと、片平先生らしい人間味あふれた会長講演は記憶に新しいところです。また、片平先生の元からも、菅原先生など多くの優れたInterventionistが輩出されております。青森県を牽引してきたのは、菊池文孝先生でした。残念ながら第1回目には発表がありませんでしたが、斎藤滋先生を師と仰ぎ、橈骨動脈アプローチで、いつも工夫された症例報告をしてくださいました。特に血栓吸引の仕方については、魚釣りに似せて表現されていたことが懐かしく思い出されます。岩手医科大学では深見健一先生がリーダーでした。深見先生は、私の福島医大の1年先輩であり、また国立循環器病センターの先輩でもありました。当時の平盛勝彦教授は、「心筋梗塞というのは自ら心筋細胞が崩壊し、2次的に冠動脈に血栓が生じるというKinetic Death説」を支持していた関係もあり、余りカテーテルインターベンションには前向きではありませんでしたので、深見先生はかなり苦労されたかもしれません。平盛先生が国立循環器病センターに勤務されていた頃、日本循環器学会総会で、「Kinetic Death」をめぐり延吉正清先生と熱い論争になったことは忘れられません。その後、着実に症例を積み上げていけたのは、房崎先生などの努力が実ったものを推察しております。平盛先生はとても面倒見の良い先生で、私が国循の研修医時代に学会への交通費を出していただいたのを記憶しております。現在、岩手医科大学は、仙台厚生病院とともにカテーテルインターベンション全般にわたって日本のトップリーダーとなっており東北の一員としてとても誇らしく思っております。最後になりますが、私が支部長であったころ、加藤敦先生には副支部長として全面的に支えていただき本当に感謝いたしております。いつも穏やかで少し控えめな調子でありながら、しっかりとした考えでマネジメント能力のない私を導いていただきました。

 第1回の地方会のプログラムを見ながら、雑多な思い出話を書かせていただきました。一部記憶が違っているかもしれませんが年寄りに免じてお許しいただければ幸いです。また、今日の東北地方会の発展は、多くの皆様方の熱意と努力の賜物でありますことは疑いの余地もありません。かつてイチロー選手が「小さなことを積み上げていくことが、とんでもない所に行く唯一の道」と話したことは、我々の領域でも言えることだと思います。今後、皆様方の手で益々発展されることをお祈りいたしております。